Mr.Flat の民主主義

多数決、力で押し切るのが民主主義 と思っている人のなんと多い事か!
こういう人は多数を取ればなんでもできると思っているし、多数を取られたら大人しく我慢するしかないと考えている。
それ、向こう側の作戦です。嘘ですから。
それ民主主義じゃありませんから。ファシズムだかポピュリズムだか知りませんが、民主主義とは別ものです。

民主主義の洗礼

この日記の旧読者なら知っているかも知れませんが、私の民主主義の洗礼は高校入学したときだった。
教師が最小のホームルームでいきなり、これからは「さん付け」で呼び合いましょうと言い出した。
先生も生徒もお互い、人と人。平等です。なので、お互いさん付けで呼び合おうと。
教師を呼ぶときも「○○さん」とさん付け、教師が私を呼ぶ時も「○○さん」とさん付け。
そういう学校だった。
埼玉県の高校では2校だけ、学生紛争をやった高校がありましたが、我が母校はそのうちの1つだ。
実際には尊敬する先生は、思わず ○○先生!と呼ぶし、親しくなってくると先生も友達同士で呼びあうように、さんは省略ですが、それまでの中学校のように上から目線の呼びつけじゃない。 さりとて、生徒が先生を呼ぶ場合は、一応年上だし、先輩に対してもさん付けでしょ? だから、そうそう省略はしない。 さりとて、ある教師は「俺のことは○○で呼べ」と愛称を推奨していた教師も居た。
それに朝の点呼でいちいちさん付けなんかはしない。
こういうのを否定するものじゃないんですが、公式にはお互い、さん付けだ。
なので、親しい間で「さん」を省略されて、気分が悪ければ「その呼び方は失礼です」というのはありだ。
議論するときは「あなたはそう言うけれど、私は...」と名前を呼ぶのも面倒になって、お互いに「あなた」だ。
お互いを尊重しあい、完全に対等
大人になった気がした。
これまでと違って、甘えず、ちゃんと生きないと、と子供心に思った。
以下に、Mr.Flat の民主主義を述べますが、私の知っている民主主義ね。 これは、人類の叡智とも呼ぶべきもので、非常に合理的でよく考えられたシステムです。
試行錯誤、ここに至るまでは、多くの犠牲を払ったものと思う。
Mr.Flat の民主主義ですが、なに勝手なこと言っているんだよ! と言われそうなので、 wiki をチロっと観ながら進めてみる。
電通を真似て、要求する知的前提は中卒で、偏差値40の奴でも分かるように書き方を工夫してみますが、私はそのままは許しません。 読んだら理解して、理解したら、自分でも考えて、調べてもっとどんどん賢くなってもらわないと困る。でもって、賢くなったら、私に教えてね。 色々、楽しいこと。

  • 主権はメンバーにある
  • 民主、ってくらいで、肝心なのはここだ。ここに尽きる。
    その社会で主権がどこにあるか? 一番偉いのはだれか、ってことですが、国なら国民にある。
    戦前のように天皇じゃない。
    政治家や政府が偉いわけでもなくて、ましてや総理大臣でもない。 主権者は一人一人の国民、ってこと。
    国民、ってことは、私は貴方だ。
    一番偉いのは、私やあなた。
    wiki をみると、民主主義、細かく細分されてますが、肝心なのはここ。
    なので、先ずここを抑えましょう!
    方法論なんかは、時代時代で変わる。 これからはブロックチェーンをつかった投票なんかもでてくると思う。
    遡って言うと、ある集団の運営の仕方の1つだ。
    国なら民主主義とそのまま使うが、組織だと「民主的に運営されている」とか言う言い回しになる。
    前提として、自分とは違う「他人」がメンバーに居る。
    色んな人がメンバーに存在しているってのが、大前提だ。
    組織に因っては迷惑なメンバーを排除することもできるかも知れませんが、国レベルだと排除できない。 多少変な嗜好をもった人でも、障害者でも、排除することはできない。 この辺りは後でも言及する。
  • 話し合いで意思決定
  • どうやって意思決定するかとういと「話し合い」 だ。
    全員が参加できない場合は、代表者に参加してもらうんですが、こういう方法論はどうでも良いのでスルーしますが、話し合いだ。

    話し合い

    昨今の風潮ですが、文章の意味じゃなくて、言葉に反応する人が多い。
    「ばっかじゃね?」と言ったとしても、
    これを正しく言い換えると「○○だとしたら、バカという結論に至りますが、そうですか?」という意味だ。
    前提が否定されれば、バカという結論も成り立ちません。 つまりバカだとは言ってないのに、「バカ」という言葉に反応する。 そういうバカは居る。

    というわけで、民主主義が機能するにはある程度のコミュニケーション能力、最低限、相手が何を言っているのかを理解する能力が必要だ。
    これを補うというか支援するのが義務教育だ。
    民主主義に参加できるだけの能力を付けさせるための義務教育。
    なので、親は子供に義務教育を受けさせる義務があると日本国憲法にも明記されています。
    誤解している人が多いのですが、日本国憲法には子供には義務教育に行く義務はない。
    企業で役立つ専門教育なんかはその後勉強しても、普通は間に合う。
  • 全会一致が原則
  • 話し合いは、全会一致が原則です。
    間違っても 多数決じゃない。それ話し合いしてませんから。
    A案とB案があったとして、途中で決をとってみてA案が多かったとしても、 だからといって、A案を強行すると全会一致にならない。
    全会一致にするには、例えばこうする。
    とりあえず、A案で進めてみて、ダメそうなら再度検討する。
    ということで、なんとか全会一致を取り付けるんだ。
    一度決めてしまえば、決まったこととして、どこまでもそれをゴリ押しするのが民主主義じゃなくて、民主主義ではどこからでもやり直しが効く。効くのが民主主義。
    じゃなきゃ、全会一致なんかならない。

    そうして、普通は全員が参加できませんから代表を出すんですが、代表で会議に出席してた人は、普通は議員さんですが、議員さんは地元にもどったら有権者の皆さんに、そう決まった経緯を説明する義務がある(説明責任)。 説明して、有権者さんにも納得してもらう必要がある。 もし、有権者に説明できないような内容なら、それを呑んできては駄目だ!
    結果を報告して終わりじゃない。
    メディアも然り。 下手な説明しようものなら、メディアは突っ込まないと! そうして、メディアにはもっと大きな役割がある。

    どこからでもやり直せるのが民主主義

    社会保障を充実させるために、消費税を上げると決まったなら、
    とりあえず消費税は上がるんですが、その前提の社会保障が充実に向かわないんだったら、それはチャラだ。
    それは詐欺行為であり、そんなのは民主主義とは言わない。
    いつでも改善を求める権利がメンバーには存在します。
    もっとも、改善要求がすぐに通るかどうかはわかりませんが。
  • 権力の分散
  • 実際問題、大勢が話し合うより、誰か賢いのが一人だか少人数で決めた方が上手く行く場合もある。
    それを民主的にやろうとしたら、話し合いの結果、だれか一人だか週人数に、一時的にかなりの権力を与えることはできる。
    されど、民主主義自体を否定するような権力なんかは、民主主義では与えようがない。 それに、未来永劫与えられるような権力もない。
    権力は与えて終わりじゃない。
    状況が変わるかも知れないし、権力は腐る、という言葉がありますが、人はいつまでも善人でいるとは限らない。悪気がなくても、間違える場合もある。
    なので、権力には、それを常に見張っている役割が必要になります。
    今は、立法権、行政権、司法権があってそれぞれ分立させて相互に監視させバランスさせるのが一般的だ。日本もそう。
    ま、これは制度の問題なのでスルーしたいんですが、
    司法には自分の息のかかった人材を送り込み、人事権を把握して行政を乗っ取る。 更には、選挙仕組みを悪用して、で自分の友達しか受からないようにする。
    これらは、民主主義の否定であり、犯罪です。
    そういう輩が出てこないとは限らない。

    どんな仕組みを採用したとしても、それらを更に見張る仕組みが必要になる。
    それが今では第4の権力と呼ばれている、マスコミとかメディアの役割 だ。

    いいかい、マスコミとかメディアの役割は民主主義では非常に重要。
    特にどこかにその役割なんか書いてませんが、なくてはならない機能なんだ。

    なので、民主主義が正常に機能するには、マスコミやメディアは常に「反権力」のスタンスになるのは必須。至極当然なんだ。
    寿司おごってもらって、提灯記事を書いているようじゃ、マスコミやメディアの自殺行為。 自殺行為どころか殆ど犯罪。そういう報道機関は、大本営という蔑称がある。

    ...かきかけ...


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