Mr.Flat の人格論

以前のシリーズ が終わる前に、気が変わって、新シリーズです。
人格論をやります。
ここでいう人格は、どちらかと言うとニクラス・ルーマンの使い方を真似て、社会的な人格だ。 結局、人は社会に出るので、自分をその社会で認めてもらって存在する為の人格が必要な訳です。 本来は、その人格をどうまとめ上がるか? という言う意味の統合された人格を指すんだと思うんですが、例えば「あの人は、人格者」という場合の人格。 ここでは、そうではなくて、もっと小さい社会、例えば会社内とか、なにかしらグループ内、例えば家庭でのその人の役割、立ち位置程度でも、人格と呼ぶことにする。

一応、以前のシリーズ の続きものなので、前シリーズも観てね。
2017/3/30

例えば、猫ブーム

猫ブームだとして、例えば薪ストーブの前で、気持ちよすぎて動きたくても動けなくなっている猫をみて「可愛い」と思ったとしよう。

A.心底、可愛いとおもって「わ〜っ、可愛い!」と、それを体中で表現する人が居たとしよう。
B.それが受けたとして、受けたのを見て、それを真似する人も居る

早い話、Bはぶりっ子なんですが、パッと見区別がしづらい場合があるが、天と地ほど違う

A.ある思想家が、同様に自ら独自に考えて、そう思うからそう言う人が居たとしよう。
B.それが受けたから、それを見て、真似て似たようなことを言う人が居るとしよう。
ま、似非○○○だ。
もし、その言動等にインスパイアされて、自らもホントにそう思ったなら、似非ではない、のは言うまでもない。

先ず、この両者の区別を抑えておこう。
Aの人は、リアルな感情によって支えられてますが、Bの人はそうじゃない。
学校とか閉鎖社会もそうだが、そこで上手くやっていくには、周りをみて上手く行っている人を真似れば概ね済む。 そうやって、そこで生きていくための「人格」を築く。 学校だと、A はホントに優秀だが、B はそうでもない優等生だ。 社会では B は「成り切って」演じている人だ。 そのうち、本来の自分を忘れてしまうかも知れませんが。 その人格は、本来の自分の人格と違うんだが、そこで上手く行っている限り、それが特異な人格じゃなければ、特に問題は起きない場合も多々ある。

2017/3/31

不思議な事

昔は偽メール事件とかあって、それに引っかかった人は議員辞職後、最終的に自殺しました。
それよりずっと前、自衛隊でクーデター計画があるというデマに引っかかった議員さんも責任をとって辞職されました。
さて、昨今の人は、ネトウヨのデマに引っかかりましたが、居直ってます。
それどころか、籠池問題は、籠池氏の単純に個人の問題としての矮小化が成功しそうな雰囲気。 結局、8億円値引きはだれがどうしてそうなったのか? マスコミは無関心。
ネットは当分収束しそうにありませんが。

さて、何が違うんだろう?と不思議に思う。

1.マスコミが追求しないというのが、徹底的に違う
田崎スシローに加えて、小僧寿しと呼ばれている人も増えましたが、完全にアンコンされてます。
騙すゴミ化と犬あっち行けー状態です。
フクシマはアンダーコントロールされてませんが、マスコミは完全にアンダーコントロール下に置かれてます。

2.彼の人の代りが居ないと信じ切っている人が多い。
私は誤解だと思いますが、多くの国民もアンコンされててます。

いつから日本はこんな姿になってしまったんだろう? と思い返すと、やっぱりフクシマが大きい。
それ依頼、正常に判断できなくなった人を「放射脳」と呼んで、双方が非難し合ってますが、この問題は、普通の日本人にとっても、とてつもない大問題だったのが改めて思い知らされる。 チェルノと同じように、日本もこれで滅ぶんだろうか? って、もうほろびかかってますが。
それまでは、まだマトモに判断する人が多かった。 暫くはまだ皆さん、怒っていた。 ところが、時間が経つにつれてその怒りは絶望に変わった。 この重い矛盾が、多くの人を正常に判断出来なくさせている。
出口はない
ホントにないかどうかは別にして、ないと思っている。
出口を塞いでおいて、誘導する。 誘導する際も「日本人はこんなに凄い」と絶望感を一時忘れるようにスピンさせるのを忘れない。 だから右翼がのし上がるのは必然だ。 自己批判する左翼なんか、もっと絶望感を高めるだけだ。 平時ならそれでも効果があったが、今の人類史上最大級の絶望感の前には辛すぎる。 絶望しているんだが、直ちに影響はない。 直ちに影響はないので、問題を先送りにするんだが(コヒーレント思考)、答えは得られそうにない。そうこうしていると、運が悪い奴から、力尽きる。 明日は、俺様かも知れん。 草食動物が、仲間が食われていても、周りから見ているように、 皆、平静を保ってるよう見えますが、自分が意識して自覚している以上に「絶望」していると思う。 意図したとしたら、フクシマも自作自演ということになってしまいますが(知らんけど)、意図しなかったとしても、いわゆるダブルバインド、二重思考の原理がものの見事に当てはまっている。

こんなときこそ、知識人、マスコミの出番だと思う。 正しい情報を発進し伝えよ。と思うんだが、いかんせん、今の知識人、マスコミの多くは、昨日の話でいうとタイプBの人が多い。 武田先生は、タイプAだ。 タイプBは、周りを見て、小狡くなりがってきただけの連中だ。 独自の判断なんかできる訳がない。 そんな奴らの思想に力があろう訳がない。 彼の発する言葉は、言霊になりえない。 可能なのは、同調圧力のもと、空気を読みながら耳障りのよい気の利いたことを言うのが精一杯だ。

ホントに終わるかも知れませんね。 って、私は終わらないと思ってますが。

中間まとめ

・ほとんどの人は統合されていない複数の人格を有している
・統合されているいないに拘らず「特に困らない環境」に居る人は、統合失調症を発症しない

・その複数の人格の中には、生まれ持ったものと統合した人格がある
タイプAの人格である。仮に「本来の人格」と呼ぶが、本来というほど本来でもないし色々な体験を経て変わるものであるし、1つとも限りませんが、外から与えられた、もしくは外にある人格を取り込んだものと違い、ずっと内的なものである
・この本来の自分ををまだ有している人と忘れてしまった人が居る
子供はまだ有している場合が多い

・タイプAの人格に対して、それを真似たタイプBの人格が存在する
・タイプAの人格は感情豊かであるのに対して、タイプBの人格はそれを伴ってない、 もしくは、良くない感情を伴う

・複数の人格は統合されていない場合がほとんど(分裂と呼ぶ)
それを統合しようとするのを「統合圧力」と呼ぶ
その統合圧力が強い人と弱い人が居る
・「特権意識」「優越感」「自分は特別」等の意識は、分裂を統合圧力から防ぐ為に、機能する
逆方向の意識、つまり人はだれでも同じ、もしくは自分は劣っている等の意識は、統合圧力を高める場合もある
・思考停止アンカーは統合を妨げる方向に機能する
それは、不自然な状態なので繰り返し繰り返し確認する作業が必要になる

・その人格間の移動は、連続に起きる人とかなり不連続に起きる人がいる
・人格間の移動は不連続な場合、それぞれの人格がいうところの真実があって、嘘を吐くのに抵抗が少なくなる
・良心は「本来の自分」が残っていて、それとの統合圧力である
・知力は最終的にどのような現象となって現れるか、に効いてくる

2017/4/3

朝、目が覚めたら、お前だれ?
<自己同一性>

朝、起きたら知らないお姉さんが裸で隣に寝ていたって話じゃなくて、
私は朝目が覚めると、最初に意識戻りますが、その意識は毎回「俺は、誰だっけ?」状態から開始します。 自分は誰で、今、どこで何をやっているんだろう? 状態です。 コンピュータを起動するとOSをロードして、作業開始まで、諸々の手順が必要で処理の準備ができるまで待って、ようやく使えるようになりますが、 例えて言うなら、そのような感じ。 「お、俺は俺だった。で、今は軽井沢で働いてる!」という訳で、俺様が始まります。
最近の事ならもう痴呆症が始まったか? と心配になりますが、子供の頃からそうなので別に痴呆症とは無関係。
という訳で、私はそれほど私じゃない。
人はともかく、私にとっては意識とオイラとは違う。別の存在だ。
この本によると、自分が自分でなくなるのは典型的な「統合失調症」の症状の1つらしいが、そういう意味では私は統合失調症気味なのかも知れませんが、ほっといてくれ!
小学生の君!
君がそうでもこれ大人には言わない方が良い。秘密な。 言うと、アホな大人に病気とみなされて、薬を打たれてしまうぞ。

そうじゃなくて、デコヒーレントが強い人は、多分「目が「覚めた瞬間からその人」じゃないのかなあと想像する。 俺様一体だれ? という瞬間は誰にでもあって、私はその状態を自分で観察できますが、多くの人がそうじゃないとしたら、その人々に於いてはその過程は無意識に行われて、意識化されないだけだ。

で、今日も今日とて自分を築き上げる。昨日までの自分を今日一日、更に前に進める。
こんなに長い間やってきて、今だこの程度ということは、情けない限り。 嫌になってしみますが、まあこれが私だ。しょーもない。

2017/4/6

NHK ドキュメンタリー
<アメリカ冬の時代?転落する中産階級 前編>

暗い気分になる人が多いみたいなるので、観ないでも構いませんが、彼等にやられているのは、アメリカ国民も同じです。 「彼等」とか「向こう側」の事を便宜上「米国が」と言ったとしても、アメリカ国民じゃありません。 米国国民も被害者で、米国は日本よりずっと先に行ってます。 グローバル経済の元でボコボコにやられてます。韓国も一緒です。
中産階級が貧困層に落ち込んでます。 これまで普通の市民だった人が、水道と電気を停められ、家を追い出されそうになって、食うものはフードスタンプに頼る生活になる訳です。 で、方や「お金持ちは益々お金持ちに」なっている。 私はヒラリーじゃなくてトランプを選んだ人の気持ちが良く分かる。 トランプで上手く行くかどうかは分かりませんが、パパ・ブッシュからのこの流れ(もっと前かも知れませんが、顕著になったのはこの頃だ)を止めたかったんだ。

日本はまだずっとマシな状態と思いますが、貴方がまだ貧困層じゃないとして、我が身に置き換えて考えてみてみそ、といったとき、対応がかなり別れる様です。

1.他人事、酷い話しだとは思うが(頭で考えると)、我が身に置き換えて考えることは状況的に不可能。 例えば、悠々自適な老人とか、お金をこれ以上どうやって使うか思いつかないような、軽井沢のお金持ちはそうかも知れません。 一流企業に努めていてリストラ対象になりえないと思っている人もそうかも知れません。

2.こんなの先進国じゃない。酷い政府に怒る

3.考えると、心配というか不安で不安で心が落ち込む。沈み込む。
なので考えない。

さて、貴方はどのタイプ?

2の範囲は広い。 私も2に含まれますが、2でも、ホントに怒って直ぐに行動だ!とマジ起こっている人も居ますが、私は不謹慎にも面白がっているところもあって、そういう人とはかなりスタンスは違う。 で、ほとんどの人は2かと思いきや、どうもそうじゃないみたいだ。
理屈でいうと、1の人も3の人も政府が悪いと思うんだが、頭ではそう考えても、実情はちがうようだ。
数で言うと、圧倒的に多いのは3みたいだ。
そうじゃなきゃ、選挙であっという間に社会が良くなる。 冷静に考えれば当たり前か。

そうなる前に色々やるとしても、もし、それらが上手く行かなくて、万事休す。 自分が露頭に迷ったら、最初は親戚だろうな。 次が友人と思うが、ホントに困窮したら多分、友人の方が力になってくれると思う。
最後に生活保護かな。 ナマポをもらうなら、その前にソーカに入ってた方が確実ですね。
冗談ともかく、あまり真面目に考えたことはない。というのは多分、なんとかなるからだ。もし、親戚や友人がその場になって「お前なんか知らん!」と身を翻したとしたら、私はこれまでその程度の生き方しかしてこなかったってことだ。 なので、そうなったそうなったで諦めも付く。 仮に、私が独り身で、生活保護も通らなかったとしても自殺することはないが、結果的に軽井沢の寒空の下、即身仏になるかも知れんが、ま、しょーがない。 別に心配はしない。不安になることもない。 今は嫁さんがいるので、私一人では決められませんが、そうなったらそうなったで相談しながら、決めるしかない。 別に心配はしない。不安になることもない。
まあ、そこまで追い込まれる前になんかする。なんかするのは間違いない。 そこに至るまでには、まだやれることが一杯あるので、心配しない。 全く心配しないとういと嘘になるが、不安で心が一杯になることはない。

これ、フクシマの問題も同じですよね。
1.信じない。
2.嘘ばかりついてなにもしない政府や東電に怒る。
3.不安になるので考えない。

私は勿論2ですが、まだなんとか生き延びると希望を持っている。
出口はないけれど、なんだか分からずとも最終的に上手く行くに違いないと信じてる。 もし、私がホントのヤバイと思ったら、日本はどこに逃げても大差ない。 逃げるなら、南半球かロシアかな? その時になったら、もっとも真面目に考えますが、その前にまだ日本でやることがある。
もし、貴方が貧困層に追い込まれてしまっている、or フクシマの影響をモロに受けて、もうどうしようもなくなっているならまだしも、そうじゃない状態。 つまり、まだやれることがある時点で、3 はないだろうと私は思うが、今の多くの日本の庶民の実情はそうじゃない。 まだ追い詰められていないのに、追い詰められている。

というのは、ひょんな事から先日、心に処理できないくらい大きな不安を感じている人が居て、その人の波長に合ってしまった。憑依されたようなものだ。 「げっ、こんな気持で毎日過ごしているんかい?」と思ったら、苦しくて苦しくて心が落ち込んだ。 よくこんな状態で毎日、毎日過ごせられますね。オイラだった速効で病気になる。 体は平気でも、心の病になる。 とてもじゃないが耐えられない、と感じた。
なんだ、俺様、心弱いじゃん。

私は運動音痴で持久走も苦手ですが、いつも思ってた。 私は筋力もともかく、循環器系も弱いので直ぐに苦しくなってしまいますが、持久走の得意な奴、彼と同等の肉体をもっていたら、きっとオイラの方が速いぜ、と。 同じ、苦しさなら、私の方が耐えられると。 私が唯一、運動競技、というほど競技じゃありませんが、唯一一等賞になったのは、海での水泳学校で、息をどれだけ止められるかという競争だ。 周りの様子は分からない。もうダメだというところまで、我慢して顔を上げたら、ダントツの一等賞だったらしい。
同じ、苦しさなら、私の方が耐えられると。 心はそんなに弱くないぞと。
心も随分強くなった。 今の私は、夢で追いかけられても逃げずに「誰だ、お前?」と振り返ることができる。 高いところから落ちそうになっても、空をとぶことができる。 そのオイラも、その人の「充満した不安」に憑依れた時には、非常に苦しかった。 こんな気持じゃ、夜寝られないよぉ。

癌を宣告されたら、こんな気持に成るんだろうか?

「そうなる前になんとかしろよ」とは思いますが、そうなっている人は辛いぞ。

私は莊子の教えを守ってなんでも 逍遥游 することを心がけてます。
B型で生まれつきいい加減なので、それも出来ますがA型で真面目な人はどうするんだろ? 幼稚園児の実験で「ケーキに知らないうちに出て行っちゃった」 と嘘をつくしかなかったA型の女子の気持ちを想像すると心が痛い。 追い詰められますよね、直ぐに。 かく言う私も昔は真面目なB型だったので子供の頃はすぐに追い詰められた。 A型の人の追い詰められ方とは違うが追い詰められた。 以前も書いたが三段論法を論駁できずに世の中に絶望していたくらいだ。 追い詰められた経験が全くない訳じゃないんだが、私が今の私になってからはとんと記憶にない。忘れかけていた「不安」を先日意図せず体験してしまった訳だ。

で、追い詰められている人が、私みたいないい加減な生き方をしている人をみると、そりゃあ腹も立とう。 聴きたくもない、陰謀郎の話とかフクシマの話をされた日にゃ、殴りたくなる気持ちも良くわかる。
すまん、スルーしてください。

で、追い詰められると次にくるのは「誘導」 だ。

ここんとこ、集中的に連載しましたが、ダブルバインドだ。 今の騙すゴミにそれほど悪意はないのかも知れない。 単に、心が休まる耳障りの良い事を言うだけなのかも知れませんが、こういう時は非常に有効だ。 不安の塊の人は、藁をも掴む思いでそれにしがみつく。
今の、この緊迫した時代なら、悪い奴なら民をどこにでも誘導できそうな気がする。

2017/4/7

おもてなし

客人をおもてなし、するとしよう。
気持ちよく過ごせていただけるよう一生懸命やるとする。
身なりもきちんとして、丁寧に対応するとして、容姿もブスじゃあ不愉快な思いをさせるかも知れんので、整形する。それは、お隣の国だ。
でもな、それやりすぎると「誰が」おもてなしするんだよぉ、と私は思う。
客人は、例えばあなたではなく、あなたのご主人さまに会いに来ていて、ご主人さまが、あなたに「その人をおもてなしせよ」と命令したのなら話は別だ。 そりゃあ、あり得るかも知れん。 客人はあなたに会いに来ているわけでもないし、気持ちよくおもてなしできれば、おもてなしするのは、あなたでなくても良いのです。

我が家の場合だと、これに近いのが誰か嫁さんの友達が嫁さんに会いに来た場合がそうだ。
私は失礼のないように、いつもの私からするとずっと真面目な私に大変身する。
事情を知らない人がみたら「お前、どーしちゃったのぉ?」って感じかも知れんが、私は精一杯おもてなししているつもり。
そうじゃなくて、客人がその人に会いに来ているんなら、 我が家の場合だと私の友人が私に会いに来る場合、「その人」、つまりオイラをもって直々におもてなしするのがホントだろ?
その人らしからぬことは不要だし、化ける必要もない。かえって失礼だ。

問題は、初めて出会うんですが、でもその人とはきちんと接したい場合だ。
その程度にも因るが、ホントに親しくなりたいと欲するなら、普段はそうそう見せない、ホントの自分で勝負するくらいの覚悟がおもてなしに必要だろ。 砕け散るかも知れませんが、嘘の自分を見せて、気に入ってもらったとしても、それは魂と魂の出会いにはならない。 相手を騙しただけだ。 そんな簡単に騙される奴と親しくなっても意味がない。
そういうケースは私にはほとんどない。 なので、普段は普段どおりの対応だ。
気に入ってくれる人は気に入ってくれるし、そういじゃない人はそうじゃない。
軽井沢でのおもてなしには大分慣れたが、そんな深くない付き合いだ。

新しい人と出会うという意味では、営業マン、大変ですよね。
いい商品があればまだしも、自分じゃ絶対に買わないよなあ、という商品を扱う場合もあろう。私には出来ん。

2017/4/11

戦後と現在の違い

私が子供の頃だ。まだ防空壕が残っていて戦争中の記憶は生々しく残っていた時代だ。 その時代から、高度成長して、今思い返しても良い時代だった。 で、今がある。 良い時代になるハズだったのに、どうしちゃったのか酷い時代になってしまった。 今と、戦後とどこが徹底的に違うか?

戦後、人材が不足したのが効いている。
戦争に負けて、価値観が変わったのもあるが、その次代にあった優れた人材を探して成長させて登用しようという空気があった。 そいつが成功し活躍すれば、巡り巡って自分たちもより幸せになれる。 「適材適所」だ。 それが、覿面に現れるたのは学校教育だ。
ところが、今はそうじゃない。
日本国は豊かになり、今は社会のありとあらゆる部署にはすでに重鎮が居る。
その状態で貧乏人の中から優れた奴がでてきたとしたら、その重鎮にしてみたら、例え自分は平気でも自分の次の代の利権がそいつに移ってしまうかも知れない。 「利権」 だ。 政治家は既に3代目、4代目の時代に入ってますが、今手にしている利権、 それを守るには、仮に貧乏人の中に優れた奴が居たとしても、きちんと上の言うことを聞く奴じゃないと登用できない。 それが出来ないとしたら、後々面倒な事にならないように、若いうちに芽を摘んでおく必要がある。 自分達の利権を守るには、日本国民が等しく優秀になっては困るんだ。 優秀な奴から優秀な子が生まれるとは限らない。 親は東大生の家庭教師を付けても、子は成蹊大学にしか進めん場合もある。 自分がアホなら、継がそうとしている奴がアホなら、国民ももっとアホにしないと駄目なんだ。 これは非常に理にかなった手段だ。
綺麗事はさておき、そう考えると、以前はあんなに楽しかった学校がなぜこうなったのか、社会がなぜこう変わって行ったのかが理に適って理解できる。

1.優秀な奴から優秀な子が生まれるとは限らない。
2.教育でなんとかなる範囲は限られている。地位が人を作るといっても限りがある。
3.「適材適所」が機能しない社会は劣化する。

斯くして、豊かになった社会は劣化する。

2017/4/13

血液型とコヒーレント思考

一人じゃないとき血液型A型の人は気がつくと、空気を読んでます。
B型の私、頭で考えないと読めない。読んだつもりが外す場合も多々。 「お、ここは俺様一人じゃなかった」と改めて反省する場合も多い。
この説明をA型の人にしても、A型の人は直ぐには分からないみたいだ。 ポカン顔、口空いているぞ!
無意識のうちに空気を読む過程は過ぎ去ってしまって、文字通り気がつくと読んでる。 B型の人は意識してやらないとこれ出来ないので、この説明でもよく理解していただけると思う。
A型から見たB型はなんて野暮な人達、と映るかもしれませんが、逆にB型からみると、自主性がなく流されやすい人に見える。悪くいうと騙されやすい。 まあ、B型も思いっきり騙されますが、雰囲気では騙されない。
B型といえど、実社会では全く同調しない訳にも行かないので、B型の人は多少統合失調症気味になりやすい。と、自分で説明して、自分で納得。

同様に、デコヒーレント思考の人は気がつくと答えが1つに決まっている。
その答えの内には「分からない」というのも含まれる。 なので態度が決まっていると表現した方がよいかもしれない。 敢えて、他の選択肢を考えるとしたら、云々とつなげることも可能ですが、その都度決まる。決めながら思考する思考方法だ。
思考方法と読んだが、ほとんど生まれつきだ。
これは狩猟系民族が長かったせいだとかんがえられる。 つまり、逃げるにせよ戦うにせよ、素早く判断できる奴が生き残った。
ところが、我々、農耕民族は違う。 今直ぐ決めないとならないことは、そうそう起きない。 なので、決めずに考える。 可能性を残したまま考える。 考えるというよりは「瞑想する」に近い。 軽めの農作業をしながら、あーでもないこーでもないと刹那滅に延々考えてきたからだ。 否、キツイ農繁期はヘロヘロで考える余裕はなくても、冬の農閑期の間、それを延々行って身につけてきたものだ。
こういう思考方法を私は「コヒーレント思考」と呼ぶ。 私が名付けた。元は量子力学の言葉だ。
上の血液型の例と同じように、デコヒーレント思考の人はコヒーレント思考が上手く理解できない。つまり、西洋人は我々日本人を上手く理解できない。意志の弱いグズ人間に見える。
逆に我々から見ると、西洋人はすばしっこいけれど単純浅薄に見える。 思想も複雑になることはあっても高まらない。 思いは姿形に出るので、その表情は年を取れば取るるほど、その人っぽくなって分かりやすい。

西洋人と書いたが、皆が皆デコヒーレント思考しかできないわけじゃない。 中でも、ドイツ人とロシア人は結構得意に見える。 日本人でも、コヒーレント思考ができない人も多い。
それに、誤解もあるようだが、なんでもコヒーレントな訳じゃない。 ある場合には、こうする、と解がでている問題なら、その過程がいくら長くとも、瞬時にその答えはでる。態度は決まる。 態度を決めてない問題に対して「どう思う?」と訊かれてなあ、直ぐに答えは出ない。 全然言葉出てない。 もう少し正確に言うと、言葉にはならいが複数の曖昧な思いが浮かんでる状態だ。
でもデコヒーレント思考の人なら、なんか言う。 少なくとも「これまで考えたことはなかった、でも今考えると、....」とつなげることができる。なので、デコヒーレント思考の人は議論が得意だ。 議論になると、コヒーレント思考の人は負ける。 でも、1対1での腹を割った問答なら、そうはならない場合もある。 なぜなら、無理やりそのコヒーレントなものを言葉にしたところで、 つまり、コヒーレント思考の人も考えてないわけじゃないんだ。 デコヒーレント思考の人はそれを容易に理解できないからだ。 反論しようにも反論できない。 日本語なら多少表現できるが、ちょっと不思議な日本語になる。 ましてや、これ外国語だと表現し辛いと思う。 漢文も多少順番を変えて間にひらがなを入れれば日本語にできますが、入れるひらがなでかなりニュアンスが変わる。 これだけ、日本語の方が中国語より表現力が大きいことが理解できると思う。 頭の悪いデコヒーレント思考の奴なら「お前、なに言ってるんだよぉ、全然分からん」で終わる場合が多い。

もう1つの特徴は、デコヒーレント思考がその行き先が不明なのに対して、コヒーレント思考は「調和」を求めており、解があるものとして仮定して考える。 つまり、性善説な事が上げられる。 例えば、興奮して怒っている人を前にして、デコヒーレントの人がここは殴って大人しくさせるしかないと判断したら殴る。 コヒーレント思考なら、怒っている人が居る。 それを収めたい自分も居て、なんとかならんかのお、と考える。 良い考えが思い浮かぶ前に、こちらが殴られるかも知れませんが、上手く調和する答えがあると仮定して、そこになんとか辿り着く「道」はなかと考えている。 あるかも知れんし、ないかも知れません。機転が効けば上手く回避できるかも知れませんが、殴られるかも終わるかも知れません。
日本人はなんでも「道」にしてしまう。 それを受け入れて、その道を歩むことを人生にしてしまう。 茶道、柔道、...、それらは、究極の(って、その人にとってのものですが)のそれがあると仮定して、ああでもない、こうでもないと日々研鑽、精進する訳だ。 企業の中には、企業内マイスターと呼ばれる超人的な技能をもった職人がいますが、その人達も同様だ。最終的にそれは芸術と呼んでも良いくらい高まる。
柔道の例でいうなら、今の柔道はスポーツ柔道。有効ポイントが多い方が勝ちだ。 じゃあ、ルールで許される範囲で、xxxxx しようとセコいことを考えるのは西洋人。 日本人はそれが有効であっても自分の柔道じゃない、とか美しくないとか、理由は様々だが、セコいことはしない。究極の「自分の柔道」を仮定してそこを歩むだけだ。 勝ち負けは関係ないし、もともとスポーツでもない。

先に述べた様に、落ち着かせる方法を既に取得しているなら、普段コヒーレント思考の人でも悩まずに、直ぐにその場に対応できるのは言うまでもない。

血液型も同様だ。別にB型ば無礼なわけじゃない。B型は頭をつかって自分でなんでも決めたがる。なので、普段の社会生活において、すべてここはこうする、あそこではああすると決めてしまっていれば、破綻しないかぎり、それに乗っ取ってスマートに振る舞うことができる。
血液型が出るのは、決まってないものに対応するときの最初の一歩の姿勢というか傾向だ。A型の人なら、回りを見渡すし、B型なら今夢中になっているものでなんとかしようとする。O型ならそのときの気持ち次第だ。 でも最終的にどうするかは、それぞれこれまで築いてきた人格があるわけで、それらも鑑みて判断する。B型がいつもおバカな訳じゃない。

元に戻って、思考形態によらず、最終的なその人の判断は、これまで築き上げてきた人格が大きく影響するのは言うまでもない。

で、こういう説明方法というか、説明する場合の視点だが、周りからみて○○に見えるというのは「観測」だ。ある程度客観性を持つ。 それに対して、コヒーレント思考の場合は云々という記述は、その人の心の内側の動きを表現したもので、それがどんな結果に至るかのかとは、無関係だ。 ぢょっとオートポイエーシス的に表現してみた。

2017/4/17

嫁さんには不評でした

今週末は嫁さんも居た。
なんか面白い映画を見たいというので、嫁さんにもこれ見せたが不評でした。
痴呆症だか認知症が出てきた時点で、抵抗感があったらしい。

我が家の嫁さんはとても感情豊かで(感情的っていう意味ではありません)、理屈で割り切る世界が理解できないみたいだ。 かく言う私は幼子のとき(ってもう高校生になってましたが)「ソクラテスは死ぬ」を論駁できずに、絶望の日々を送っていたというのに全く違う世界に住む女性です。 ホームズがロジャーに遭って、人間的な心を取り戻すと同時に、過去の記憶を取り戻し自分の過ち、過ちと表現すると違いますね、至らなさを受け入れる勇気を持つに至る。 私はこの映画を見ながら、私が嫁さんと出逢って、より人間的になれたのと重ねて見ていたのかもしれない。
と言うわけで、サイコパスになっちゃった人はもう感じることがないと思います。 それに普通に人にも不評。多少分裂気味な人なら感じるところがある映画だと思います。 頭で策を練るんじゃなくて、上手く行こうが行くまいが、自分の心に素直に生きる のが良いと思うぞ。

で、ちょっと補足すると論理は観測データに基づくものだ。
観測は観測でそれ自体じゃない。 観測は、それをなにかに投影するんだが、単なる事実とダラダラと連ねるだけじゃなくて、なにかその事実を表現できるモデルに当てはめる。 例えば、ケプラーは惑星の動きを観測してその事実をつらつらと記述した。 それに対して、ニュートンは万有引力の規則性を読み取った。 そうすると、そのモデルが有効なものなら、そこから更に多くのことが推論できるようなる。
しかしね、それは極論をいえば偶そうなるだけだ。
普段我々が観測する中くらいのスケールではほぼそうなるとしても、スケールを外れるとかなりズレが目立ってくる。特に、ミクロな世界というより、もっとずっと小さなスケールでは確率的にしか求まらなくなる。 何故か? って、それは個々のそいつが、そいつって素粒子とかですが、その式を知っていて理解してそれに従って動作している訳じゃないからだ。 自らは自らの○○によって、つまり自分の都合で動作しているだけだ。それをマクロ的に見ればその式で表現できるというだけの話だ。 自らの○○を、○○にはシステムという言葉を当てはめると、それはオートポイエーシスになるが、それ自体も観測できるハズで、観測したとしたら恐らく量子的な過程、キュービットの世界になると思う。

話は逸れたが、観測データにもとづきどう分析しようとそれらとは無関係に、人にはその人の内的な世界がある。 例えば、貴方がめげているとき、精神科の医者にそれ分析して欲しいですか?
病名を付けてもらうと安心する人もいるようです。
人によってそれぞれです。 優しい言葉をかけて欲しいと思うかもしれないし、叱咤激励を望む人もいるかも知れない。私ならメゲてても、敢えてなにもしてくれなくて良い。 君は君で、いつもと変わらぬ君でいて欲しい。 僕は君の笑顔をみて元気になる。 いつか復活する私を信じていて欲しい。
2017/4/21

自分でおもっているほど自分じゃない

人の脳の状況を大きく左右するドーパミンとセロトニンですが、 これらのかなり大きな割合は腸で作られてますが、実際に作っているのは腸内細菌です。 したがって、腸内細菌の構成でその人の性格が変わる場合があります。 実験では、無菌環境で育てられたマウスが自閉症のような行動が見られたとあります。 ドーパミンとセロトニンが現象すればストレスに弱くなりますから、そりゃあ自閉症気味になるのはありそうな話だ。
性格はともかく、食いたいモノが変わるのは有名です。 腸内細菌が欲しいものを、人間は自分が食べたいと思ってしまう訳だ。 忘れもしない、ってオイラ優等生でしたから、小学校の時は、人間が栄養を吸収した後の余った食物を腸内細菌が分解している、みたいなニュアンスで説明された。 真逆ですよね。 腸内細菌が、食物を人が吸収できるような状態にまで分解してる訳だ。 もしくは、人が必要とする栄養素を、人が喰った食物を材料にして腸内細菌が生成している訳だ。 人はそれでも吸収し易い食物が多いですが、葉っぱばかり喰ってる牛さんとかは、もっと複雑なことをやってます。
早い話、共生 だ。
オートポリスでいうと相互浸透だ。
自分だけ、に限っても実際は複数の細胞から成り立っている訳で、体の各部署が中央(ってどこだ?)にそうそう簡単に従うとは思えん。 そういう意味では何が「俺様」なのかはよくわからなくなる。

嘗て、デブの頃、って今もデブですが、もっとデブだった頃、夜中にお腹がすいてどーしようもなくなるという衝動があった。 これ面白くて、何か心的なもの(過去に否定された自分ですが、これ)が無意識的にバインドされて、そういう衝動になって現れているんじゃないかと自己分析した事がある。 色々試しましたが、特にない。 仕事が忙しいと、そういう場合はちょっとデブの方が元気が保つので、ちょっと多めに食うようにしていた、ってのはあるが、それ以外思いつかない。

ダイエットを初めて、夜中にお腹がすいてどーしようもなくなるという衝動は起きなくなった。起きてもその程度は非常に低い。 もしかしたら、腸内細菌のバランスが変わったのかもしれないし、そもそも私の代謝のバランス、これまでは即使える血中エネルギーを当てにしてたものが、脂肪を燃してエネルギーにする割合が増えたとか?

便通もずっと良くなった。
犬を散歩に連れて行って、毎回毎回ウンコする姿をみていると、自分もしたくなる気持ちが起きる。でもなあ、犬の散歩を初めてからこう変わった訳じゃなくて、ダイエットし初めてからだ。
腸内細菌だけじゃなくて、ミトコンドリアも人間に命令しているって話もあるが、よく知りません。
いずれにせよ、俺様は俺様が勝手になんでもできる状況じゃなくて、色々なものと折り合いをつけながら、落とし所をみつけつつ、進んでゆくしかない。

河本英夫はおだて上手なので、「日々自分を創っていく」みたいな言い方をしますが、オートポイエーシス的に、俺様を表現すると、まあそいうものだ。 ぶっちゃけ、オイラは今日も飽きずにオイラをやるわけだ。
なにも無ければ、今日も今日の確認作業だけで終わるかもしれない。 抱えていた問題は解決され新しいステージに進むかもしれないし、もっとより多くの深刻な問題を抱えてしまうかもしれない。 普通は徐々により自分らしくなっていきますが、私の歳になると衰えてくるところも多いので、単純に成長しているとは言い難い側面もある。

継続は力なり、って言葉もありますが、
もし、何かをず〜と続けていたなら、それで障害が出ていないなら、それは上手く俺様のオートポイエーシスのネットワークに取り込まれているってことだ。
で、会社を引退すれば、これまで毎日会っていた会社の嫌な奴とか、嫌な客先とも会わなくて済みますが、環境はかなり変わる。今まで通りのオートポイエーシスが維持できるかどうかは分からない。
それまでは社会から受ける刺激が減ると、必然的に内側からの刺激が気になり始める。 それまでは社会からXX が歯止めになっていたのに、それがなくなると、それまで抱えていた内的な問題が一気に噴出する場合もある。 何も抱えていなかった人は、暇になるだけなので、新しいこと、し放題です。 楽しい老後、し放題です。

そもそも、純粋培養されたひ弱い子は、社会からの刺激が強すぎて、社会に出られないかもしれない。
社会にでたら出たで、楽しいこと一杯あるんですが、そこまで至らない。
「潔癖症候群作戦」ですが、
上手くいくと、あなたの子は、スクスク成長し性格も温厚、成績優秀で、常識をわきまえた人になります。 ですが、311以降で分かったこと、ホントはそれ以前から分かってたんですが、「優等生」は暴力に弱い。殴る蹴るの暴力だけじゃなくて、心的な暴力(こっちが本質)も含めての話ですが。 世の中が変な方向に向き始めても、それを止められない。 止められないどころか、それに乗っかってしまう。 考えてみれば、そもそも、自分の内に確たる信念があるわけでもなし、社会の荒波に抗ったりできる訳がない。
そのうち悪い仲間に取り込まれて、人相も変わって異臭を放つようになる。
もともと、多少なりとも自分を否定して育ってますから、変態っ気があるんですが、 変態度も増す。
むしろ、社会的に強い子に育てたいとおもったら、「彼等」がやるみたいにサイコパスに育てた方が効果があるかもしれない。 うん、サイコパスは強い。壊れてますが。

というわけで、最近の西側諸国では、
1.支配層で、サイコパス、
2.市民層で、潔癖症候群っぽい人、
を育てるのが主流です。
ところがそう上手くは行かない。 市民層は、正しい市民にまで至らず落ちこぼれて、貧民が増える。 日本は少ないですが、難民? 移民か? も入ってくる。 なので、結果的には、次の3層が形成される。

1.支配層
2.市民層
3.貧困層

割合的には貧困層が一番多くなる。

因みにこれは考え方が間違っているからこうなる。
上から勝手に、こいつは市民、コイツは上流階級と決めて育てようとするからそうなる。
貴兄は立派な人だと思うが、ご子息がそうだとは限らない。 駄目なやつなら、もっと楽な生き方を扠せれば良いのに、まあ、なかなかそこまで思い切るのが難しいのは分かる。 分かるんだが、私は良い社会を作ろうと思うなら、徹底的に 適材適所 にすべきだと思う。
才能を持って産まれてくる子はそうそう多くない。
駄目なやつに無理して教育してその立場まで押し上げても駄目なものは駄目だ。 まあある程度はできるようにはなるが、限度がある。 100mを12秒台では走れるようになるかも知れませんが、10秒切れるのはほんの一握りの人たちだけだ。 サルトルの「希少価値」の原理は今も生きている。 それに、この歳になると分かるが、ある程度できるようにナットしても、やっぱり無理するんだよ。 頑張れば良いってもんじゃない。 知らないところで、犠牲を払って、その弊害は出る。 優れている奴なら、す〜っと出来てしまう。 それに駄目じゃないかもしれない。貴兄のようには出来ないかも知れませんが、別の才能があるかもしれない。上手くその才能が活かせれば、そこで多くの人を幸せにできる。
逆に優秀な奴を押さえつけても、そうそう抑え続けることは出来ない。 アホを祭り立てると何するか分かりませんが、優れている奴はそうそう変なことはしない。
適材適所なら、優れた人に素性通り優れてもらえば良いだけなので、格別にサイコパス教育を施したり、良い市民に育てるように潔癖症教育を行う必要もない。

2017/4/25

とある日の夕食の後の風景

私と嫁さんともう一人の3人。
食事が終わって、お茶を飲むことになった。
そのもう一人が茶をいれてくれた。
茶碗が3つ並べてお茶を入れる。
その場には私が2番めに近い位置に座ってた。
「どうぞ」と言われて、私は私に一番近い茶碗に手を伸ばして、取って飲み始めたら、残りの2人、嫁さんともう一人がずっこけている。「B型〜っ!」。
2人は「優しい私」が少し離れてた場所に座っていた嫁さんにその茶碗を当然渡すものと期待したらしい。 少し離れていたといっても、中腰になれば手が届く位置なので、私ならわざわざ手渡ししてもらうより、受け取る時、熱いお茶、危ないじゃん。 手を延ばしてね、と言ってもらったほうがありがたいので、そうした。それが合理的だと思った訳だ。 私からすると、手加減せずに接した訳で、いわば最上級のオモテナシだ。 ところが、そうじゃないと判断する人も居るってことだ。
はい、残りの2人はA型です。

ここで重要なのは、しばしばB型は気が付かないとか、無神経とか、自分勝手とか、酷評されますが、どれも当たってないってことだ。
第一に、私は、他の人のことを考えなかったわけじゃない。
次に、私は、自分がして欲しいとおもうことを他人にもやった。
ましてや、他人はどうでも良いという意味なら、自分勝手にやった訳じゃない。
彼等はB型を理解していない。
というか瞬時には理解できないみたいだ。

特に、忘れもしない小学校2年の時の担当は、お婆さん先生でしたが、なにかあって私が正直に事の次第を説明すると、私のことを「物凄い性悪小僧」と判断した。 彼女には私が全く理解できなかったみたいだ。 クラスで盗難事件があったときも、知らない間に私が犯人になっていた。 それを町中に言いふらして回った。 数年後、母親がその噂を聞いて、エラく怒ってましたが(母親もB型)、私とその婆さん、どっちがホントの性悪だか、天は知っている。
お婆さん全員に評判が悪かったわけじゃない。
(ちょっと変わっているけれど)素朴でとても素直な少年と判断してくれるお婆さんも多かった。
その少年も今は、もうすっかり爺さんですが。
それはともかく「言い訳上手」と思うみたいだ。
それ、言い訳じゃないですから、本心です。って、分からないだろうなあ。
逆に私がヘクったのは、手を伸ばせば届くのに「渡して欲しい」と望んでいたことまで読めなかった事だ。彼等が自分とは違う人であることを、失念してた。 無意識的にそれを判断する事はB型には無理。 知らない人ならもうちょっと頭を使って気配に注意するんですが親しい人なので油断してた。
B型の人が、本心を語るにも、A型の人には、A型の人が理解できる言葉を使って表現しないと、多々誤解が生じる場合がある。 かなり勉強して、それ、できるようになってきているんだが、まだまだだ。 時々、誤解される。 この日記は6割くらいの本気度で、あまり手加減してないので、多分そうとう誤解されているかも。。。。

A型同士は、別に目配せせずとも「空気を読む」んだか「忖度」するんだか分かりませんが、B型にしてみれば超能力とも思えるような力 が存在するようだ。
繰り返しになりますが、逆に彼等も私がどう判断したのかも理解できない。お互いさまだ。A型の人には当たり前な事が、B型は練習しないと出来ない。 B型には当たり前なことも、A型にはできない。
まず、このことを認めよう。

ところがこの違いを認めない人達がいる。
今回の2人は一人は嫁さんで、もう一人も親しい人なので、別に非難轟々じゃなくて「やっぱりB型だったぁ!」レベルですが、これが一般社会だと、数的には圧倒的にA型が多く多数決をやると彼等のものだ。下手するとB型虐めになる。
個別の人の違いを認めない人達がいる。仮に原理主義者と呼ぶ。
原理主義者は例外を認めない。
彼等の物差しを当てはめて、駄目な奴をバッシングする。
A型が原理主義者な訳じゃない。 むしろその可能性は少ない。そういう原理主義者がトップの社会では、A型は違う意見を言いづらく、加勢する側に回ることもある。

違いといえば、男性、女性の思考の違いもありますよね。
言い争いになると、女性は話がポンポン飛ぶので、男性はついていくのに必死。 目が回る。 こちらに分があったとしても、話題を集中させない限り勝ち目はない。
A型とB型の違いとどっちが多きいのかは知りませんが、A型とB型の違いよりも、もっと大きく違うのは、コヒーレント思考とデコヒーレント思考の違いだ。
典型的な日本人の発想と西洋諸国の外国人の思考の違い、安定した農耕民族と狩猟民族の思考の違いだ。 これに関しては延々述べたので今回は省略。

違いはある。
この違いを認めないと相互理解なんて無理だ。 で、お互いが理解しあうとしたら、肝心なことは、ここ、つまり「違いがある」で終わらないことだ。 違っていても、人は人。つまり「人間」であるってことは、人である限り同じだ。 A型もB型も女性も男性も、長野県人、群馬県人、コヒーレント思考もデコヒーレント思考も、その他にも違いは多々あると思いますが、人としてはみな同じ人なんだ。

じゃあ、その共通であるところの「人」ってなんだ? という話に進みますが、
これ、形にするなら、色々な人がいてもそれぞれで誤解が生じにくい言葉で表現する必要がある。
例えば「基本的人権」なんか、私的にはお気に入りだったんですが、これも変な人達が変なニュアンスを付けてしまったので、変な言葉になりつつある。

1つ忘れてましたが、お金持ちとそれ以外の思考の違いもありますね。 それは教育で培われた後天的なものだ。 庶民は「お金持ち」に会うことが少ないので、ほとんどの人はその実態を知らない。 私も軽井沢に越してきて、瞬間瞬間を垣間見ることができ、意識が変わりました。 お金持ちも色々ありますが、かなり違う。

2017/4/28

さて、

変節漢のEGさん曰く政治は結果責任。ま、そうかも知れん。
で、政治は上のほうで一般国民はにわかには理解できない色々な難しい問題がある。 まあ、あったとしよう。 それを解決するために、国民に嘘をつく。良く言えば方便を吐く。
大所高所から判断する訳だ。
でもって、必要なことをしくしくと推し進める。
結果がでりゃ、いいじゃないか。
彼の主張はこういうことだと思うんだすが、それで良いんかい?

これをもう少し個別に検討してみようと思うが、 必要なこと、まあそれがホントに必要な事だとして、それをしくしくと推し進めるのと、良い結果がでるなら私も異論はないので省略。

  1. 日本国には難しい問題が多々ある
  2. 大所高所の判断は、一般国民には理解できん
  3. ↓ 直ぐに結果がでりゃよいですが、どっこいそうは行かない。
  4. 結果がでるには時間がかかる場合もある
    政府の嘘を信じて待っていても、待ちきれずに破綻する国民がでる場合がる
    その場合ても自己責任
1 の日本が抱える大問題。
これは、なんといってもフクシマとどこぞの国の属国であること、この2つでそう意見は変わらないように思う。EG さん以外にもそう考えている人は多いと思う。
軽くおさらいすると、次のようになる。
国の借金問題(実は、国じゃなくて政府ですが)なんかは、人が作ったルールだけの問題なのでその気になれば、どうにもでもなる。 ところがフクシマはそうじゃない。 自然はそんなに甘くない。文系の君は知らんかも知れんが、理系のオイラは良く知っている。これは、放っておくと日本だけの問題にとどまらず、世界中の問題になりかねない(もうなっている気もするが)。
ところが、悲しかな属国日本は、領主さまの許しがないとなにもできない。
先ず、この呪縛から逃れる必要がありますが、今は千載一遇の絶好のチャンス!
私がみているネットの人も、ここまでなら相当共通理解があると思う。

2 大所高所の判断は、一般国民には理解できん、ですが、
私にも理解できんません。はい、一般国民です。

強力になにかを推し進めるには安定した政府が必要。
それには支持率が必要、ってところくらいなら私でも分かる。
  • 消費税Upは法人税Downとバーター
  • 法人税Downは株価Up
  • 株価Upは安倍ちゃんの支持率Up!
お金持ちだけだと、こんな支持率にはなりませんね。 インチキ支持率調査をやっているんですが、その企業も、大所高所からの判断にしたがってやっているのかも知れませんが。

集団的自衛権も特定機密保護法もこんどの共謀罪も、私は憲法違反だと思いますが、 非常に強力な法で、良い人が良い目的の為に使えば、良い結果がでるかも知れない。 そこまでは理解できるが、果たして今の政府はそうしようとしているのか? イパーン人(ネットでは、おバカな一般人をこう呼ぶ)の私には、理解できん。
グローバル経済化は、以前のJHのさらに上の方の人たちが推し進めてたものだから一先ず置いておくとして、右傾化政策はなんじゃこれ? 最近は右も左も良くわからなくなってきてます。 愚民化政策と呼んだほうがずっとスッキリします。
なんじゃ、この愚民化政策
  • 愚民化政策
  • おバカな一般国民の大量生産
  • 理解しないので、嘘をつく
一般国民には理解できんから嘘を吐くんじゃなくて、仮に話せば分かる高尚な大所高所からの判断があったとしても、それを理解できないように愚民化政策しているので、必然的に嘘を吐く羽目に陥っているように私には見える。
この辺りは、4/11 戦後の現在の違い で述べたので、今日は割愛。
大所高所の高尚な判断があるとしても、私には理解できないので、私は愚民で決まり!

ちょっと話は逸れるが、
仮に才能ある大人が居たとしても、大人は大人なので放って置くとしても、才能をもって生まれた子がその才能を開花させる前に潰されしまうのは実に勿体無い。 もとい、勿体無いという表現は適切じゃない。 勿体無いのは、他人から見た(観察者からの)立場で、本人(当事者)にしたら、その才能を否定されることは、存在を全否定されるようなもので、とても悲しいことだ。
国民がそれぞれ自分らしく活き活きとして生きられない国、そんな国が良い国か?
金持ちになる、ならない以前の問題だ。

問題は、次の3だ。
周りをお仲間で固め、才能ある一般人が居たとしても登用することはない。
彼等にまかせておいて、日本国が抱える重大な問題に対処できるんか?
仮にプーさんやトーさんが手を差し伸べてくれて、解決したとしても、それまで、 一般国民は耐えてサバイバルできるか?

これ、その人の現在の境遇によってかなり判断が違う。
軽井沢にも多いですが、悠々自適な人は他人事だ。
これまで、なんども庶民からみた経済実感を記事にしてきました。
今、額によらずある程度の収入が継続的に保証されてている人は切羽詰まってませんが、 そうじゃない人は結構追い詰められてます。 社会には、弱い立場の人 が大勢います。 その人が、自分の現状を訴えることができるなら、状況は変わる可能性も残されますが、その人は多分弱くない。 ホントに弱い立場の人は、それすら出来ない。 周りにそういう人が居たら、お金持ちでも多少は省みてくれるのかも知れませんが、そうじゃないなら、頭で考えるだけで実感を持てる人は少ない。
で、今は良くても、いつどう状況がかわるか知らん。 籠池サンも、急に梯子を外されて、見捨てられた訳だ。
見捨てられる人、いいんですか?その覚悟あるんですかね?
ある人は良いとして、その弱い立場の人は、苦しみながら死んでいく訳だ。

そうやって考えると、EG さんも「強い立場」の人かも知れん。
爺さんは、この先短いので、私も含め、そう意味でも若者よりずっと強い。
まだ、もうちょっとやりたいことも在るけれど、 これでオイラの人生が終わったとしても、大筋ではなんの未練もない。 子供の時、若い時、夢見た場所よりもずっと先までこれた。
そうではなく、まだ「産まれてきてよかった!」という感動も1つも体験せずに、ず〜と苦しいまま生きている人も居るだろうに。 私は、その日が待ちきれず、落ちこぼれる人が大勢でるのを心配する。

で、大所高所の判断で上手くいったとしよう。
多分、その時は日本国民はそうとう疲れていると思う。 今でも疲れている人が多いのに。
そこから、また「建国」を始める訳だ。私はもう死んじゃってると思いますが。

万事が上手くいけば、今のやり方でもそれなりの結果になるかも知れないとは思う。
それに、結果は意志とか目的とか、やり方とか、途中の経緯とか、そういうものに依らず、偶然、その結果に至る場合も多い。 良かれと思ってやっても、最い結果になる場合もあるし、その逆もある。
私は、途中はともかく最後は「上手く行くに違いない」と思っている。 人類全体で観た話だ。個々の人は相当苦労する人も出ると思うが。 なので、そういう意味での結果はあまり心配してない。

仮に上手く行ったとして、でもな、それ「民主主義」か?

日本にかぎらず、先進国は、一応、民主主義的な形式を取ってますが、ネットで晒されているように実態はかなり違う。 今度の EG、 さんの主張は、要は、結果がよければ良いじゃん、ってスタンスだ。
私が高校の時習った民主主義とは違う。
にも拘らず、現政権を支持する EG さんは、 そういう意味では、EG さんも、民主主義なんかどーでも良いのかも知れない。
我々より、少し上の世代、暴れた人達だ。 改めて、その世代の人を観てみると、変節した人は多い。 あのナベツネさんも左だったのは有名だ。 今、お茶の間でもネットでも大人気な田崎スシローさんも、成田闘争では逮捕されたこともあるらしい。
彼等の思想は血でも肉でもなかった訳だ。ましてや魂でもない。

機会があれば、私が高校で習った「民主主義」についても述べてみたい。

2017/5/12

結局どれだけ人(国民)を信用するか?

国民はおバカで正しい判断ができない、と信用してなければ、為政者は国民には耳障りのよい安心話をするしかない。 こんなの民主主義じゃない。
その意識には「優れ主義」が見え隠れしますが、これって構図的には何度も例にだした、 「子離れできない母親とマザコン」のケースと同じと思う。 早い話、ダブル・バインドなんですが、
母親は子供を自分のところに留めておくために、駄目な子を強いる。 子供はきちんと育ってないのでいつまでも駄目な子のまま。 為政者は今の地位だか利権だか知りませんがそれを守るために、駄目な国民を強いる。 国民はきちんと自分で判断できる市民に育ってないので、民主主義なんかできる訳がない。 人が育っていないので、政権交代しようにも、今の民進党なんかに政権を渡すとどうなるか、 幹事長はあの○○でしょう? 無理、無理、無理。 当時より劣化している。 結局、不正選挙でもプロパガンダ公共放送でも、不正支持率でも、使えるものはなんでも使って騙し続けるしかなくなる。 という悪循環だ。
循環 → 閉鎖ネットワーク → オートポイエーシスが成立してしまっている。
オートポイエーシスは外からは壊せない。 なら、藤原直哉が言うように、一強にして内部分裂させるのも1つの手かも知れない。





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