頭が悪い、と言っちゃうと話が終わってしまうので、もう少し真面目に述べる。
差別する人を差別するのは差別か?、という話がある。
分かりやすいように番号を振る。
1.差別 する人を
2.差別 するのは
3.差別か?、とする。
その上で、次のストーリーを考える。
A.間違った or 不正確なことを言う or 行う。
分かりやすいように、この人は子供、もしくは権力のない側の人としよう。
B.当然「そうじゃないよ」と訂正されます。
分かりやすいように、この人は大人、or 先生、もしくは権力を持つ側の人としよう。
言い方にも依りますが、否定されるわけだ。
C.自頭の良い子なら、B に対して、自分の正当性を反論できます。
D1.おバカな子なら、B に対して、反論できない。
D2.大人しい子も、B に対して、反論しない。
もしかしたら、こそには B の指摘には当たない正当な理由があったかも知れません。
にも拘わらず、否定されたわけだ。
もし理由があったとしたら、にも拘わらず否定された訳で、これは「差別」が成立しています。
E. 実際は、B では、否定する側にもそれなりの理由がある。
F. 実際は、A でも、良く見ると、もそれなりの理由がある。
もしかしたら、良かれとおもってそう発言 or 行為したのかも知れない。
ところが、B で否定するひとは、否定できたということは、そのときは立場が上(権力者側)ということですが、
因って、上から目線で否定しがちですが、
A の発言 or 行為の理由 or 真意に気づいて居ないので、それほど優秀ってわけでもない。
多少常識を知っているとか、彼もまた権威主義の中で育っているとか、まあ、大して利口でもないのは事実だ。
G.もし B の人が優秀なら、A の発言の意図、真意を読み取ってもっと訂正するにせよ、上手に訂正してくれる。
その場合は、A は差別されたとは感じない。
D1,D2 の場合、彼らは差別されたと感じる
この場合の差別は、1の差別だ。
彼らは差別されたのに、仕返しをせずず〜っと耐え偲んできたわけだ。
B で、彼らを訂正した人は普通は差別をしたとは思っていない
少なくとも、1 の差別ではない。
具体的な内容にもよりますが、もし A の行為が誰かを差別するような行為とみなしたら、
その差別が 1 の差別で、B の行為は、2 の差別に相当するかも知れません。
2 の差別に相当したとしても、それは 1 の差別を否定するための差別で、3 差別にはあたらないと主張するだろう。
時代が変わって、今は A だった側の人が権力を持っている
もし、今、否定されつづけてきた人たちが、現政権の庇護のもと B の人たちを差別したとしても、
それは、これまでず〜っと差別されつづけてきた経緯から、2 の差別であって、彼らもまた 3 の差別には当たらないと主張するだろう。
つまり、どちらをとっても 3.差別は、差別ではない!という結論になる。
共通なのは、それだけではない。
そもそも、どちらも、1 の差別は良くないことだと思っている。私もそう思う。
ところが、A の人は差別したとは思っていなくて、自分はされた側。
B の人も、自分は 1 の差別した側とは思っていなくて、自分はそれを訂正した側だと思っている。
にも拘わらず、差別が生じて差別の怨念が残るわけだ。
こんがらがった状況に陥ってしまっている。
A も B も大して変わらないんだよ、実は。
ところが、C や G だと生じない。怨念も残らない。
そうならないのは、両方、頭が悪いんだよ。
な、頭が悪いということは、致命傷なんだ。
だが、これを言っちゃあオシマイなので、もう少し続ける
上のストーリーでは、客観的にみると圧倒的に B 側が悪い。
なぜなら、A とB は対等ではなくて、B 側は
権力 を持っている側だからだ。
もし、否定する側に権力がなければ、笑い飛ばされて終わりだ。
そこで、否定 or 差別が成立したということは、否定する側に権力があったという事だ。
権力は暴力だ。暴力はいかなる場合も奮う側が悪い。
ここで、重要な結論に至る。
権力を与えるなら、優秀な奴に与えるベキなんだ。
G の人は、権力を振るわなくても、説明して訂正することが出来た、って訳だ。
権力をもたせるなら、権力を行使せずとも、やり遂げられる人に保たせるのが良い。
そもそも、こんなねじれた状況に陥ったのは、B の訂正の仕方が悪かったからだ。
ここで言う、優秀とは、頭が良いとか高学歴とかそういう事じゃない。
G を見ればわかるように、A の人が、なぜそんな発言をするのか、行為をするのかを理解できる人だ。
そんな事、思いも依らない人がじゃあ駄目なんだ。
上で述べたように、
自分と違う生き方をしている人を理解できていない 人じゃあ駄目なんだ。
こんな人に、権力を与えると、また新たな差別を産んで、怨念が残る。
戦後、リベラルっぽい人が権力をもっていた時代が続いた。
リベラルでもなんでも良いのですが、自分と違う生き方をしている人を理解できれば。
ところが、権力を持っている側の人の中には、そういう意味で優秀じゃない人が居たのも事実。
学校の教師にも大勢したし、官僚にも大勢いた。//教師は中曽根が敢えてそうした。官僚は知らん。
それは認める。
そういう人たちが、D1,D2 罪なき人をず〜と虐げてきたのは事実だ。
もし、貴方がそうではないと言い張るなら、貴方は G ではなく、B の人だ。
貴方にも言い分はあるのは認めるが、A の人を理解していない。
ところが無血?クーデターが起こり、今の権力者側は A 側の人に取って代わった。
A の人は、嘗ての権力者側のロクでもないのが、とっちめられて気分は良いかも知れない。
だからと言って、今の政権の人達は、その中枢が利口じゃない。
もっとバカな連中に権力を持たすならば、将来、もっと酷いことになる。
なぜなら、今権力を持っている人たちは、嘗てよりもっと酷く、差別するからだ。
嘗ては、本音は兎も角、まだ建前を守ろうとする姿勢はあった。
憲法に書かれてある精神を理解し、遵守しようとする姿勢は垣間見えた。
例え実社会では差別を受けたとしても、出るところへ出ればその人の言い分は認められる可能性があった。
ところが、今はそうじゃない。
公文書は改竄するし、歴史も改竄する。
憲法さえ改憲して、基本的人権を制限しようとしている(それって、基本的人権じゃないですから)。
今の差別対象は、今は嘗て権力を持っていた側かも知れんが、今後は貴方にも及ぶかも知れない。
彼の人とお友達でなければ、貴方は平気でも貴方の子供、子孫に被害が及ぶ。
それでも応援するなら、応援するのはアタナたの自由だ。心して応援するように。
さて、これは日本人の思考方法にも依存している。
B で否定されたとき、D1,D2 の態度をとってはならない。
××するな!と言ってくるわけで、××するな、と言っているのはわかる。
問題は、なぜそう言ってくるか? その理由だ。
D2 でも頭の良いこは「違うのに!」と内心思っている。
貴方は反応されるとは予想せず、発言 or 行為したわけだが。
なら、当然承服できないものは、できないと態度を明確にすべきなんだ。
恐らく、デコヒーレント思考の外人なら、その場で口にするだろう。
可笑しいじゃないですか、....と。
ところが、日本人の場合、それを
歯向かったとみなす人がいる。
歯向かうとは、弱いものが強いもの(権力者側)に歯向かうことだ。
G の人なら、それは歯向かったとは判断しない。
ところが歯向かわれたと見なすような人は、あとでもっと酷い仕返しをする。
//こういう人に権力を与えては駄目なんだが、教師だと中曽根が与えた。
特にA型の子はもって生まれた才能でその事を体得しているので、そうそう態度表明はしない。
そこでは、否定された側も納得するんじゃなくて、モヤモヤが残る。
のこったまま、一旦終わらせる。コヒーレントな状態で心の中にしまい込む。
なんか、知らんが、次は言わずに or 行為せずに置こうと決めるが、心の中には残る。
そのモヤモヤが、自分が権力側になったときに思い出される。
意識されるかどうは別にして、思い出される。
以下、因果は巡って、気がつくと A の人は、B になってしまっている。
この不適切な因果のネットワークは切断すべきだ。
で、話は原点に戻る。
.. 気が向いたら書く..